メニュー

神の御声「神は人のいのちの源である」(抜粋 1)

神は言われます。「夜が忍び寄っても人は気づかない。なぜなら、人の心は、どのようにして暗闇が近づくのか、それがどこから来るのか知覚できないからである。夜が静かに過ぎ去るとき、昼を迎えても、人はそれがどこからやって来たのか、どのようにしてそれが夜の暗闇を追い払ったのか、人の心ははっきり知ることなど到底なく、気づくこともない。そのような昼と夜の周期的な交替は、時代を進みながら、人をひとつの時期から別の時期へと連れていくと同時に、神の働きと神の計画が、それぞれの時期を通じて、あらゆる時代を通じて、遂行されることを確実にする。神とともに時代を通り抜けてきたのに、神が万物と生けるものの運命を支配することや、神がどのようにして万物を指揮し方向づけるのかを、人は知らない。これは遥か昔から今日まで、人には分からないことである。その理由は、神の業があまりに見えにくいからあるいは神の計画がまだ実現されていないからではなく、人の心と霊が神から離れすぎているからである。したがって、人が神に付き従っているときでも、彼は知らないうちにサタンに仕え続ける。誰も神の足跡や出現を自発的に探し求めないし、誰も神の配慮と守りのもとで存在することを望まない。むしろ、人は、この世と、不正な人類が従う生存の法則に適応するために、喜んで悪であるサタンの腐敗に頼ろうとする。この時点で、人の心と霊はサタンに捧げられ、サタンの食物となる。さらに、人の心と霊は、サタンが住む場所になり、サタンの恰好の活動場所となる。このようにして、人間であることの根本的原則についての理解と、人間存在の価値と目的についての理解を、人は気づかないうちに失うのである。神からの律法と、神と人の間の契約は、人の心のなかで徐々に消えていき、やがて人はもはや神を求めたり、神を心に留めたりしなくなる。時が過ぎるにしたがって、人は、なぜ神が人を創造したのか理解しなくなり、もはや神の口から来る言葉を理解しなくなり、神からくるものすべてを認識しなくなるのである。人は神からの律法と掟に反逆し始め、人の心と霊は無感覚になっていく…。神は神の本来の創造物である人を失い、人は自分が始まったその起源を失うのである。これは今の人類の悲しみである。」

通読おすすめ:

神は人間のいのちの源である

コメントを残す