私は現在71歳です。私は若かった頃、裕福な生活をしようとして頻繁に夜遅くまで残業をしました。その結果、私は40歳の若さで高血圧と変形性腰椎を患いました。しかし、私は病院での治療にお金を遣うのが嫌だったので、自宅で薬だけを飲んでいました。年を取るにつれて私の病は悪化していきました。高血圧で頻繁に目眩がして、両手は震えるようになり、私は物をしっかりと掴むことができなくなってしまいました。様々な形で生活が不便にもなりました。
2017年4月22日、私は頭痛で目が覚めました。私はこれを単なる持病だと思い、あまり気にせずに集会へと足を運びました。ある姉妹は私の病を知った後、こう言って交流してくれました:「あなたのお年を考えると、病院に行って検査を受けた方が無難ですよ。自分にそんなケチになってはいけません。私たちは病に罹ると、一方で神に祈りを捧げ、神を頼るべきですが、もう一方では実際に協力する必要もあります。それは病院に行って治療を受けるということですよ。」私は姉妹の言ったことにはあまり注意を払わずこう考えました:「これは初めてのことじゃない。この頭痛とはもう20年も付き合ってきてるんだ。長年耐えてきてるんだから、大したことじゃない。」
5月2日、私は夕食後に耐えがたいほどの頭痛がしました。私はそれは高血圧が原因で、薬を飲めばたぶん良くなるだろうと思っていました。7時15分になった時、私はシャワーを浴びる準備をしていました。そして、突然、私はめまいがして、地面の上で気を失ってしまったのです。そのおよそ1時間後、私は激しい頭痛で目が覚めました。私は頭が破裂しそうに感じ、目の前が全てぼやけて見えるようになって吐き気がしました。私は懸命に立ち上がろうとしましたが無駄でした。私はこう思いました:「ここ2回高血圧でめまいがした時は自力で立ち上がれたけど、今回は家で1人だし自力で立ち上がれない。私はこんな感じで死んでしまうのか?」こう考えていると、私は怖くなって無力感に駆られてしまい、心の中でこう祈りを捧げました、「ああ、神様、私は以前、自分の病の治療費を払うのを嫌がっていました。今、私は立ち上がることすらできません。私を救えるのはあなたのみであると分かっております。神様、どうか私を御救いください。」こう祈りを捧げた後、私は落ち着きを取り戻し、信念を抱きました。その瞬間、私は神が私の唯一の拠り所であられ、神を頼みの綱とする私は恐れるものなど何もないことに気が付きました。
そして、私はある程度エネルギーを感じたので、壁にしがみつきながら全力で立ち上りました。激しい頭痛が原因で、私の体は弱っていました。私は壁につかまりながら1歩ずつベッドの横まで移動しました。私はベッドの上に倒れ込んだ時、心の中で静かに神の御加護を求めて祈りを捧げました。1時間後、私の息子が帰宅しました。彼は明かりをつけて、ベッドで苦しみながら横たわっている私を見た時、動揺しながら私にこう聞きました:「お母さん、何があったの?体のどこが具合悪いの?」「シャワーを浴びてた時に高血圧になったのよ。めまいがして死にそうになったわ。今は頭痛がしてるわ。まるで頭の中に針が刺さっているような感じなの」、と私は弱々しく答えました。私の息子は急いで私を病院まで車で運んでくれました。彼らは私を集中治療室に連れていき、医師が全身の検査をしてくれました。その医師は私にこう言いました:「あなたの脳内の腫瘍は破裂して沢山出血しましたが、あなたは本当に運の良い方です。来るのが遅かったらどうなっていたか分かりません。」その後、私は数人の医師たちが話し合っているのをふと耳にしました、「この患者の容態はとても深刻です。今すぐ手術を行うべきですが、彼女の年齢を考慮すると成功率はとても低いです。成功したとしても、彼女は後遺症、もしかしたら痴呆に罹る、または麻痺を起こしたり、植物人間になってしまうかもしれません。最悪の結果として彼女は手術中に亡くなる可能性もあります。ですが、手術をしないと彼女の脳は血栓で詰まってしまいます。そうすると血液の循環が止まり、死に至ってしまいます。時間がもったいないです、彼女の家族に知らせて手術の同意書に署名していただきましょう。」私は手術を受けようが受けまいが危険な状態にあると聞いて怖くなりました。私はこう思いました:「この年齢で麻痺したり、植物人間になってしまったら、生活する上で自分の世話ができなくなって家族の負担になってしまうわ。それなら死んだ方がましだわ。」私はこう考えた時、悲惨な気分になりました。
私は怖くて苦しんでいた時、神にもう一度祈りを捧げて助けを請いました。私は祈りを捧げた後、神は側にいてくださり、私を守ってくださっておられると感じました。神が私の唯一なる拠り所であられ、私の岩であられることは真実であり、私は神に心を向けて、心から神を頼るべきなのです。私が死ぬのかどうか、手術が成功するのかどうか、または私が後遺症を患うのかどうかは全て神の手中にあるのです。私はこう考えながら神に従順に祈りを捧げ、私は開頭術を受けることにしました。
その2日後、私は開頭術を受けました。私はもう一度神に祈りを捧げ、手術の成功を神に委ねました。麻酔が効いてくると、私は意識を失いました。6時間の手術の後、私は目を覚まし、私の頭にはガーゼが何層にも巻かれていましたが、痛みはなくなっており、頭もすっきりしていました。私は死んでなければ、植物人間にもなっていないことが分かり、神への感謝の気持ちを表さずにはいられずこう祈りを捧げました:「ああ、神様、私は心からあなたに感謝いたします!あなたは私に御恵みを与えてくださり、私に憐みを抱いてくださりました。そうでなければ、私は、自分の年を考えても、手術台の上で死んでいたでしょう。私はもう一度あなたの愛と御救いを授かりました!」そうしているうちに、リー先生が私の様子を見にやってきました。彼は私に腕と足を上げるように言ったので、私は言われた通りにしました。彼は驚いてこう言いました:あなたのお年でこのような危険な手術をお受けになった後に目を覚まして自由に動けるなんて驚きです。あなたの手術が成功したのは正に奇跡です!私の長年の経験を通しても、あなたのお年の患者が脳内に赤くしなやかな静脈をお持ちなのはとても稀なことです。通常彼らの静脈は白く弱っています。彼らは病気になると血管が破裂して死んでしまいます。助かる人は非常に少ないんです。あなたは間違いなく幸運な方です。隣の部屋にいるあなたとほぼ同じ年齢のお婆さんも開頭術を受けたんですが、3日も昏睡状態のままなんですよ。。。」私は医者の言ったことを聞いた後、感謝の意を言葉では表現できず、心の中で神に感謝し続けました。
20日後、私は退院して自宅に戻りました。私は興奮しながら娘にこう言いました:「家に帰ってきて早く回復できるのは全て神の御救いのおかげだわ。お医者さんだって不可能だと思ってたのよ。このおかげで心から神の愛を実感ることができたわ。神の御加護と御導きが私を生かしてくださったんだから、家族全員で神に感謝するべきだわ!」私の娘はこう言いました:「その通りだわ、お母さん。お母さんがまだ生きてるなんて本当に奇跡だわ。私たちは本当にお母さんが信仰する神に感謝するべきね。」
その後、近所の人たちも私を訪れにやってきて、彼ら全員がとても驚いてこう言いました、「あなたは本当に運が良くでラッキーですね。私の親戚も開頭術を受けたけど、彼女はそのあと認知症に罹ってしまったよ。彼女は退院したあと自分の家族も分からなくなってしまったんだ。通常ならあなたの現在の状態まで回復するのに最低でも1年か2年はかかるのに、わなたはとても回復が早くて後遺症すら残っていない。しかもあなたはとても元気いっぱいな様子で、手術を受けたばかりの人には見えませんよ!」私は近所の人の言葉を聞きながら、これは全て神の素晴らしい御業のおかげだと分かっていました。神の力強い御手が私を御守りくださり、私が無事に生きられるようにしてくださっているのです。神の奇跡的な御加護のおかげで私は神の全能さと主権を知ることができているのです。神は本当に私たちの運命を制御されておられ、神は本当に私たちの唯一なる希望そして拠り所であられるのです。まさに聖書こう記述されている通りなのです:「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです 」(詩篇 23:4)。「あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、 災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。 これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。 彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。」(詩篇 91:9-12)すべての栄光を神に帰します。