キリスト教徒の証言–いのちの奇跡
悪い知らせに耐えがたい苦しみを受けました
「あなたの弟はどこにいるの?もう数日も見てないし、電話もつながらないわ」、と私は夕食後に何かおかしいと感じながら長男に聞きました。彼は躊躇して、重々しい口調でこう言いました;「お母さん、シャオ・ウェイは交通事故に遭って、先週から治療のために入院してるんだ。お母さんは凄いショックを受けると思って、言わなかったんだ…」突然、私は全てが終わったような気分になりました。私は何も言えないまま、くずれるように椅子に座りこみました。精神的にまいってしまった私を見た長男はこう言ってすぐに私を慰めてくれました:「お母さん、しっかりして…」私は息子の言ったことははっきり聞こえませんでしたが、下の息子にすぐ会いたいとだけ思いました。
私はこう思いました:「私はもう72歳。若かった時に一生懸命働いたから、今は体中が痛いわ。一度、沢山の名医たちに診てもらったことがあったけど、全部効果が無かったわ。長年に渡って痛みと苦しみを経験したから、もう人生に大きな期待は持たなくなった。ただ単に残りの人生を平和に暮らしたいだけなの。でも、下の息子が交通事故に巻き込まれるなんて予想もしていなかったわ。何か悪いことでも起こったら、私はこの先どう生きて行けばいいのよ!」
病院に行くと、私は息子が意識不明であったのと、両側開頭術を受けたばかりの彼の頭がメロンのように腫れ上がっていたのを目にしました。彼は39度ほどの熱があり、体温を下げるために角氷に包まれていました。彼を見ていると、私の脚はグラグラしました。私はこう考えました:「私の息子はもうこんな容態になってしまった。また目を覚ますことはあるのかしら?目を覚ましても、普通に生活ができるのかしら?息子と家族は将来どうやって暮らして行くの?私の孫息子と孫娘はどうなるの?」 私はとても惨めな気持ちになり、悲しさのあまり泣き出してしまいました。そこの病棟にいた人たち全員も泣いていた私とベッドの上でチューブだらけになって死の瀬戸際をさまよっていた息子を見て涙を流しました。
1か月の治療を受けた後、私の息子はついに目を覚ましましたが、息子は誰の顔も覚えておらず、話すことも動くこともできなかったのです。最終的に、医師はどうすることもできずこう言いました:「私たちは最善を尽くしました。家に戻って彼にゆっくり回復させてあげてください。」 私は医師の言葉を聞いた後こう思いました:「医師がこう言っておられるんだから、息子はもう恐らく普通の状態に回復することはないのね。息子はもう死にかかっているんだわ!」 息子を自宅に連れて帰った後、私は将来の生活のことを考えると頻繁に涙を流しました。
私の義理の娘が彼らの子供たちを育てるために働く必要があったため、息子の面倒をみる負担は私と私の夫に回ってきました。私は息子が早く回復できるようにと、彼を毎日脳のリハビリテーション療法に送りました。また、息子は自分で食べることも、飲み込むこともできなかったので、私が違う種類のお粥を作って彼に食べさせました。お粥はしょっちゅう残ってしまいました。しかし、私は諦めませんでした。私はいつか奇跡が起こることを期待して息子の面倒を見続けました。しばらくした後、息子は知覚を少し取り戻し、手足も少しだけ動かせるようになりました。私の夫と私は彼を支えてゆっくり歩かせようとしましたが、彼の脳は体の動きをコントロールすることができませんでした。彼は無意識のうちに私の頭を頻繁に叩きました。私の義理の娘が仕事から帰宅した時も、彼は彼女の髪の毛を引っ張って、彼女の頭を叩きました。彼女は10万元の対外債務と医療費の借金を支払う必要があり、夫の理性に欠ける暴力に耐える必要もあったので苦しい生活を強いられていました。彼女は何度も離婚を求めました。最終的に、彼女は工場の中で暮らすようになり、もう帰って来たがらなくなってしまいました。この状況を見た私は息子の容態だけでなく、両親のいない孫息子と孫娘の生活も心配になりました。私はこう思いました:「私はもう年寄りだから、私がいなくなったらこの子たちはどうやって生きていけばいいのかしら?」
絶望する寸前で神の御気遣いを授かりました
2012年3月、私の親戚の1人が私を説得しにやってきました:「お姉さん、お姉さんの家族は大変な状態だわ。お姉さんの息子はまだ病気だし、お姉さんだって病気持ちなんだから、神を信仰しましょう。神は万物の創造主なのよ。神は全世界を管理されていて、全人類の運命を支配されておられるのよ。だから、神を心から信仰すれば、神は困難を通して私たちを御助けくださるわ。」私は心の中でこう思いました:「こんな状況になってしまった中で期待できることなんて何もないわ。。。」私の親戚が神への信仰について話していた時、私はそれをぼんやりとしか聞いていませんでした。私はそれを漠然としたものだと思いました。私は自分の重篤な息子のことしか考えていなかったのです。私は彼女の言葉は考慮しませんでした。それから4、5日経った後、私は親戚が又してもやってくるとは思っていませんでした。彼女はこう言いました:「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」 (マタイによる福音書 11:28)。神の祝福を受けていない私たちがどれだけ無力な状態で苦しみながら生きているかが分かるでしょ?神は私たちの拠り所なのよ。私たちは神の前に行くことによってのみ心の中で平安と安心を得ることができるの。。。」私は彼女の言葉に心が少しだけ動かされてこう思いました:「神は本当にそんな大きな力を持っておられるのかしら?神は本当に私を不幸から救ってくれるのかしら?」哀れで無力な私はこの唯一の希望にすがることにしました。
その後、私は時間があればいつでも兄弟姉妹たちとの集会に参加するようになりました。私たちは神を讃えるために頻繁に祈りを捧げ、讃美歌を歌いました。集会に参加した時、最初の数回は庭で一人で座っている息子のことが気がかりで、転んでしまわないかと心配していたので、私はいつも気持が落ち着きませんでした。そして、ある姉妹が私にこう言って交流してくれました;「私たちは神の信仰を始めたばかりで、実際には神の御主権を体験していないので神への真の信仰は抱けていません。神はこう仰っておられます:『もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる』 (マルコによる福音書 9:23)。 神は全能であられます。いずれの人も、いずれの物も、全てが神の手中にあるのです。私たちはシャオ・ウェイを神に託し、神を信じて頼るべきです。そうしたら神が全てを支配されておられるという事実を目撃できるでしょう⋯」この姉妹の言葉を聞いた後、私は深く考えすぎないようにして、彼女が読んでいた神の御言葉を聞こうと心を落ち着かせました。集会が終わった後、私は様子を見に庭に行ってみると、息子が無事に椅子に座っているのが見えました。私は少し興奮してこう思いました:「神は本当に私の息子を守ってくださっているわ。」私はこれをあと数回経験した後、次第に神を信じるようになりました。
静かに祈りを捧げると奇跡が起きました
一度、私は神のこの御言葉を目にしました:「また、祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」(マタイによる福音書 21:22)。 私が神への信仰を始めたため、息子の病は本当に改善していたのです。神の御言葉は信頼できるように思えました。その後、私はいつも息子のために祈り、彼を神の御手に委ねました。私は奇跡が起こることを期待しました。これと同時に、私は休むことなく彼の世話をし続けました。ある日、私が2階で集会をしていた時、突然私の息子が私の所へやって来たのです。私は驚いたと同時にこれを嬉しく思いました。私は慌ててこう聞きました:「どうやって一人で上がってきたの?転げ落ちるのが怖くないの?」彼はこう言って答えました:「心配ないよ!」こう言って彼は下に降りて行ったのです。私は感極まってこう思いました:「姉妹が初めて私に福音を伝導してくれた時はまだ完全に神を信仰していなかったけれど、息子の病が毎日良くなっていくにつれて、それは神の驚くべき御業だということが分かったわ!神の御言葉は正に真実であって、とても強力なものなのよ!」更に信じられなかったのは、彼は少しずつ物を食べれるようになり、頭もさえてきていたのです。私の家族は誰もがこれに大喜びし、私は涙が出るほどに興奮しました。私は神が自分の拠り所であると心から感じたのです。私は息子を安心して神に委ね、神の御言葉を読み、心に余裕を持ちながら教会生活を送るべきなのです。後に、私の息子は完全に記憶を取り戻し、硬直していた手足も自由に動くようになりました。彼は電動自転車に乗れるようにもなったのです。これらの出来事を目の当たりにして、私は圧倒されてしまいました。私はこう思いました:「真の神は本当に私たちの側にいてくださって、必要な時にいつでも私たちの拠り所となってくださっておられるんだわ。」この瞬間、私は心の底から神に感謝して、神を讃えずにはいられなくなりました。
その後すぐ、私の息子は術後の検査を受けに一人で自転車に乗って病院まで行きました。彼は帰宅して、医師は彼を見た時に自分の目を疑っていたと私に話してくれました。彼は私の息子の手をとって、興奮しながら他の医師と患者の元へ彼を連れて行き、驚きと共にこう言ったのです:「奇跡だ!これは本当に奇跡だ!私たちはこの患者がこんなに回復するとは予想していませんでした!これは驚きだ!」 私は彼の言葉を聞いた後、抑えがきかないほど神に感謝しました:「私の息子が早く回復できたのは、全て神の御言葉と権威の御力、そして神の憐みと御加護のおかげです!」私は医師が息子の手術を施行中に息子は植物状態に陥ると断言していたのを思い出しました。神から私への憐みがなければ、私の息子の容態は悪化していただろうし、私もどれだけ長く息子の面倒を見続けることができたかは定かではありません。神はあの姉妹を御遣いになって私に福音を伝導され、私を神の元へ御導きくださったのです。私は神の御言葉を読み、兄弟姉妹たちの交流を聞いて、神に頼ることを学びました。これは全て神の憐みだったのです。私は自分が奇跡的に授かった御救いによって神の御力を目の当たりにし、神の人間に対する愛を体験できたことを、心から神に感謝しています。後ほど、私の息子が少しずつ回復しているということもあり、義理の娘が自宅に戻ってきました。私たちはこれまでのように円満な家庭となりました。この瞬間、私の神への信仰はさらに強まりました。私は神の善良な信仰者となり、適切に神に従っていく決心をしました。
病にむしばれ、又しても奇跡が起こりました
私は息子の世話と付き添いに自分の全エネルギーと力を注ぎ込み、体が弱かったにもかかわらず休むことなく働いた結果、病気に罹ってしまいました。2013年9月、私は働き過ぎで心不全を起こして病院に運ばれました。医師は、私を冠動脈性心疾患、心房細動、そして心房期外収縮と診断しました。医師は私の容態を監視し続けるために私が入院することを必要とされました。後に、私の妹も心臓病を患い、私と同じ病院に来ていました。彼女は精神的に私よりも良い状態にあったため、いつも下の階にいた私の所にきてくれました。ある日、彼女は私と談話しにやってきました。彼女がちょうど戻ろうとしていたその時、彼女は突然発作を起こしたのです。彼女は救ってもらえず、ついには死亡が確認されました。私は悲嘆に暮れていた時、自分のことが心配になり始めました:妹はまだ若かったのに、病を乗り切ることができなかったわ。早かれ遅かれ、私も彼女と同じようになってしまうのかしら?この瞬間、私は集会で兄弟姉妹たちが読んでいた内容を思い出しました:「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう」(マタイによる福音書 17:20)。 神は全能であられます。神は私たちの運命を支配かつコントロールされておられます。私の息子の運命は神の主権にあるのだから、私の運命も同じなのではないでしょうか?神の御言葉は最も信頼できるものであるので、私は全てを神に委ねて神の御采配に従うべきなのです。従って、私は自分の恐怖心と臆病さの全てについて神に祈りを捧げました。祈りを捧げた後、私は落ち着きを取り戻し以前ほどの恐怖心は感じませんでした。
後に、私は心臓のステント留置術を受けました。私の容態が安定した後、医師は病の発生頻度を下げるために心房細動の手術を受けることを推薦されました。私はこう思いました:「私はもう70代を超えてるのよ。医療費だった高額だわ。」なので、私は手術を受けるのをやめ、自分のいのちを神に委ねることにしました。私は退院した後、毎日のように容態が改善していきました。
私は主イエス様が仰ったことを思い出しました:「わたしは道であり、真理であり、命である」 (ヨハネによる福音書14:6)。 私は今日まで神を信仰してきて、「神の御言葉を信じれば、私たちの生活に奇跡が起こる!神の御言葉は私の行き先に明かりを照らしてくださるランプのようで、生き続ける信念と勇気を与えてくださる」、という事実を幾度に渡って目撃してきました。後に、私は頻繁に神にこう祈りを捧げました:「ああ、神様!私は体が辛いですが、またあなたの御言葉の御力を目撃しました。私はヨブを見習いたいと思います。私は病が治らなくてもあなたの文句を言ったりはいたしません。私はあなたの御主権と御采配に従います。」
神の御言葉を授かり、神の愛を浴びる
その後、兄弟姉妹たちはいつも私に会いにきてくれました。私たちは一緒に神の御言葉を読み、お互いの知識と見解を共有し合いました。私は依然として薬を飲む必要があり、たまには気分が悪くなったり、取り乱したりすることがありましたが、心の奥底では落ち着いて平安を感じていました。私はもう死を恐れていませんでした。私の体は神の御気遣いと御加護の下で順調に回復しました。私は今、エネルギーで満ち溢れています。私は料理、家事、そして畑仕事もできるようになりました。私は心房細動の手術は受けませんでしたが、それが私のいのちに影響することはありませんでした。私の下の息子もまた働き始めました。私の家族は幸せで仲良くやっています。私は今までこれほどの平安と幸せを感じたことはありませんでした。神は本当に私の家族の運命を変えて下さったのです!
私は今回の体験で神が実際に存在されておられることを知りました。神は全人類の運命を支配されておられるのです。神は私たちの人生において、何度でも奇跡を起こすことがおできになるのです。神は本当に全能であられるのです!