また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう。
だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。
主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。
自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。
かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。
主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、
囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、
自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず、神の僕にふさわしく行動しなさい。
兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。
「わたしの中では、すべての者が安息を得て、自由になることができる。わたしの外にいる者たちは皆、自由も幸福も得ることができない。わたしの霊は彼らと共にいないからだ。そのような人々は霊のない死体と呼ばれる。一方わたしの中にいる者たちを、わたしは「霊を持つ生き物」と呼ぶ。彼らはわたしに属し、わたしの玉座に戻ってくることになる。効力者たち、そして悪魔に属する者たちは、霊のない死体であり、すべて滅ぼされて無に帰さねばならない。これはわたしの経営(救いの)計画の奥義であり、わたしの経営計画のうち人間には計り知れない部分である。しかし同時に、わたしはこれをすべての者に明らかにした。わたしに属さない者はわたしに敵対するものであり、わたしに属するものはわたしと相容れる者である。これはまったく疑う余地のないことであり、サタンに対するわたしの裁きの原則である。この原則はすべての者が知らねばならない。そうすればわたしの義と正しさを見ることができる。サタンから来る者はすべて裁かれ、焼き尽くされ、灰となる。これもまたわたしの怒りであり、ここからわたしの性質がさらに明らかになる。」「キリストの初めの言葉」の「第百八章」より