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誠実な人こそが心から神を愛することができる

主イエスはわたしたちにこう教えられました。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」(マタ18:3)。主はわたしたちが子供のようになることを要求されますが、では主が言うような子供はどんなふうな人ですか。単純で誠実で、神をひたむきに愛していて、神を満足させるためだけに生きている人です。このような人は誠実な人です。誠実な人は神によって天の国に導き入れられる人です。

なぜ神は誠実な人を喜ばれますか。誠実な人は思い上がらず、傲慢ではなく、単純で心を打ち明けることができ、神に対する本当の信仰と愛があり、真理を実行して神を満足させるためだけに生き、どんな環境の下でも神を怨まず、神を捨てず、無条件に神に従うことができるからです。

アブラハムのことを例にあげましょう。彼は誠実な心をもって神の言葉に聞き従うことができ、全然神に要求を出さず、全然神を怨まず、真心をもって自分の愛する独り子を神に返しました。神に対する彼の愛と絶対的な従順のゆえに、神は彼の子孫を祝福して大いなる国民にしました。また、ヨブは財産、子女が奪い取られるという試練を受ける時、依然として誠実な心をもって神を信じていました。彼は自分の生まれた日を呪っても神を怨まず、しかも「主は与え、主は奪う。主の名がほめたたえられよ」と言いました。こうして、彼は神のために強くて高らかな証しをしました。だから、神の目には、彼は神を畏れて悪を避ける無垢な人です。……

彼らはみな心から神を愛する誠実な人です。わたしたちも生活の中で、神の按配するさまざまな環境に出会います。これらの環境の中には、順境もあれば、逆境もあります。しかし、わたしたちは意にかなわないことに会う時、いつも神にがっかりし、失望し、しかも神を誤解し、怨みます。わたしたちに最も欠けているのは、神に対する単純で誠実な心です。そうなるのは、わたしたちが神以上に自分の利益を愛するからです。

わたしたちが考えてみましょう。神に対する単純で誠実な心がなければ、どうして神を愛するという証しをすることができるでしょうか。わたしたちはこのことを堅く信じなければなりません。神はわざとわたしたちを困らせません。神のなさるどんなことにおいても愛があります。神はわたしたちを完全にして、アブラハムやヨブのような、単純で誠実で、本当に神を愛し、畏れて悪を避ける人にならせようとします。

兄弟姉妹たちよ、わたしたちはみな神を愛する人になりたく、また真理を実行して神を満足させるために生きたいです。もし心から神を愛したいなら、わたしたちは子供のようにならなければなりません。神がわたしたちのために心をこめて按配してくださる環境の中で、わたしたちは子供のように単純で誠実であるべきであり、神が何をするのもわたしたちの命をもっと豊かにし、わたしたちを完全にして、本当に神を愛し、神に従う人にならせるためだと信じるべきです。神を満足させるために、また天の国に入るというわたしたちの夢を実現するために、わたしたちは一緒に努力して、単純で誠実な子供になりましょう!

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