最近、アメリカの「風雲の変化」はいつも大衆の注目を集める。それは政治とは関係がなく、世の終わりの奇観、災難と関係がある。8月21日、ほとんどすべてのアメリカ国民は百年に一度しか起こらない皆既日食に驚嘆した。一部のクリスチャンは聖書の預言がすでに実現したのを見たので、「これ以上神に悔い改めないなら、どんな結末を得るだろう」と心配している。まだ一週間もたっていないのに、まれに見る、暴雨を含んだハリケーンは突然来襲した。それはもう一度、神の世の終わりの警告をもたらした。
現地時間8月25日の夜、「ハービー」という名称の超大型ハリケーンはアメリカのテキサス州に上陸し、そしてテキサス州全域を襲った。4級の風力は米国ハリケーン・センターの予測している3級の風力を超えた。ハリケーンの最大風速は毎時155マイル(249キロメートル)に達した。こうして、「ハービー」は2004年以来初めてアメリカを襲う4級の超大型ハリケーンになった。
現在、ハリケーン「ハービー」がもたらす強い降雨のため、テキサス州で洪水・冠水による災害が起こった。五百年に一度と言われるテキサス州の大洪水によって、少なくとも五人の死亡者が出た。州都ヒューストンの降雨量がすでに20インチに達した。ヒューストンの周辺の川の水位はまだ上がっている。それは過去最高の水位を超えるかもしれない。ヒューストンの多数の街区は水浸しになった。大風で切れた樹木や電線などの残骸があちこちに散らばっていた。暴雨に襲われたヒューストンを俯瞰しているニュース写真の中から、ヒューストンが海に陥ったかのようであるのを見た。気象部門は暴雨が8月30日まで降るかもしれないと述べている。関係部門は、今回の洪水が400億ドルの損失をもたらすだろうと見積もっている。米国大統領トランプ氏も自分ができるだけ早くテキサス州へ被災状況を視察に行くと述べた。
たびたびの災難のゆえに、「天には不測の風雲がある」という言葉の真実性はいっそう人々に認められている。世の終わりに、地震、ハリケーン、疫病、洪水などの災難が過ぎた後、人々は沈痛な気持ちを抱いて破壊の跡だらけの故郷に直面し、死者の遺体を葬り、負傷者の傷をいやし、行方不明の人を心配するしかない。わたしたちは自分がほかのことは何もできないと認めざるを得ない。ある時、わたしたちが科学的手段によって前もってある災難を予測することができ、またいくらかの防備措置をとることができるが、でもいかなる人も災難の歩みを止めることができない。来るべきものは来なければならないし、失うべきものは失わなければならないからだ。
災難がしばしば起こることは、神が公にこの世を裁く日が日一日と近づいてくることを示している。これは神の成就したい事実であって、いかなる人も阻むことができない。わたしたちは災難のゆえに目を覚ますべきであるし、また神の仕事記録を通して、神のみこころが何かを探究するべきである。この時、わたしは主イエスがエルサレムの神殿に向かって「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」(ルカ21:6)と言ったのを思い出した。当時の人々は、なぜ主イエスが壮大な宮が崩されると言うかを知らなかった。だが、ユダヤ人が主を十字架につけて、神に逆らい、神を冒涜するという大罪を犯した後、神の言葉は実現した。そして、エルサレムの人々はローマ人に血腥く屠殺された。二千年近くの間、ユダヤ民族全体は国の滅亡、亡命のつらさを味わった。こうして多くの人はやっと、神の当時の言葉が預言でもあれば、人々に対する戒めでもあると分かった。
今日、わたしたちがこの混乱した邪悪な世界に直面している時、聖書の中の、世の終わりに関する神の預言を思い出した。次のいくつかの例を見よう。「主の日、大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる」(ヨエ3:4)。「その日が来ると、と主なる神が言われる。わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に大地を闇とする」(アモ8:9)。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて生みの苦しみの始まりである」(マタ24:7-8)。ヨハネの黙示録に記されている「七つの鉢」の災害がすべて起こった後の情景:「あの大きな都が三つに引き裂かれ、諸国の民の方々の町が倒れた。……」(黙16:19)。
今、これらの預言のうちの一部の預言がすでに実現した。例えば、月が四回血に変わったとか、まれに見る皆既日食が起こったなど。また一部の預言は実現しつつある過程にある。例えば、現在、全世界の災難がさまざまあって、ますます大きくなる。世の終わりの災難に関する神の預言がすべて実現した時、この邪悪な暗黒の世界の有様はあの時のエルサレムよりどれほど惨めなのだろう。これはわたしたちが想像できることだ。
神は義で真実である。受肉した主イエスが現れて働かれた時、主イエスの言葉を聞き、主イエスのみわざを見た人、例えば主の弟子ペテロ、ヨハネ、ヤコブなどは主の足跡に従い、主の贖いと祝福を得た。主に逆らって、悔い改めようとしないパリサイ人、およびパリサイ人と一緒に主に逆らう民たちは言うまでもなく、神に懲罰され、呪われた! 今は主の再来の日である! わたしたちは前人の教訓をくみ取ったか。神の声を聞いたなら、探究し、調べるべきか、それとも無視したり、いろいろな観念を持ったり、逆らい、拒絶することをするべきか。わたしたちの結末と運命は、わたしたちの態度と実行によって決まるのだ。
天の国に至る門が狭い。もしわたしたちが真理を渇仰する心を持ち、虚心に神の出現を求めるなら、きっと神に顧みられ、導かれる。主イエスがこう言われたからだ。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」(マタ5:3)。「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」(マタ7:8)。