私は幼い時から、(教会の執事で子供向けの日曜学校で教師をしていた)母親に習って主を信仰し、頻繁に一緒に集会に参加して聖書を読んでいました。私は少し大きくなった後、子供のフェローシップからユースのフェローシップに移行しました。
私たちのユースのフェローシップで宣教の担当をしていた牧師は神学者でした。彼はよくこう言いました、「牧師でいるのは容易なことではありませんよ。聖霊による感動がなかったら、牧師の仕事を続けるのはとても大変なんです。」従って、私たちは、彼が聖霊に触れられて、主に最も好かれている人であると思い、彼を大いに敬いました。彼は宣教する時、頻繁にこの節を読み上げていました、「そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、『見よ、あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、しるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう」(マルコによる福音書13章21-22節)。そして、彼は私たちにこう言いました、「終わりの日には偽キリストがたくさん現れます。全てにおいて注意を払い、むやみに説教を聞き回ってはなりません。特に、まだ聖書の基礎知識が固まっていなくて、霊的背丈も極めて低い人たちは、惑わされてしまうといけないので、他の宗派の説教を聞いたり、読んだり、それを調査してはなりません。」
さらに、この牧師は私たちが特に関わりを持つことを禁止されていた東方閃電を含む特定の教会の名前を頻繁に幾つか挙げていました。彼はまた東方閃電に関する非難宣伝についても幾つか口にしていました。私の兄弟姉妹は全員がそれを聞いてその教会とは絶対に関わりを持たないと言っていました。これ以外にも、私たちは聖書をもっと読んで、普段から集会に参加して聖書を学習することを続け、毎日主に罪を告白して、それを悔い改め、全ての瞬間において注意しながら主を待っていれば、主が再臨される時に天国に携挙されると彼はよく私たちに言いました。当時、私は彼の言ったことを信じていました。なので、私は警戒を緩めて他の教会の説教を聞こうとはせず、彼に言われたことは何でもしていました。私はこれによって、自分は安全な場所で主の来臨を待っていると思わされていたのです。
2017年のある日、教会からフー兄弟が私を探しに学校までやって来ました。彼は真剣な口調で言いました、「大事な話があります。あなたのお母さんと姉さんが東方閃電の信者になってしまったかもしれないんです。」私はこの知らせに唖然としました。私は思いました。「牧師によく東方閃電とは一切関わってはいけないって言われているのに。どうしてお母さんは東方閃電を信じているの?」それから彼は私に東方閃電に関する非難宣伝の内容を幾つか話してくれました。私はこれを聞けば聞くほど、どんどん怖くなっていきました。私はパニックになって、「どうしよう? どうしよう?」、と思い続けました。その時、彼はこう言いました、「家に帰って、本当に東方閃電を信じているのかどうかをお母さんに聞いてください。でも、聞く時は東方閃電のことは何も知らないふりをしてください。先ずはお母さんの返答を聞いて、会話を録音して私に送ってください。」これを聞いて、私は自分の母が誤った道を歩んでいないかと不安になり、彼に同意しました。
事態はフー兄弟が言った通りになりました。私が家に帰ったとたん、母は、主イエス様は終わりの日に全能神として再臨されており、人間を清めて変えるために、そして人間を罪の束縛から完全に解放するために、たくさんの御言葉を仰せられ、神の家を起点に裁きの働きをなさっておられると言ったのです。母はこうとも言いました。「これは神が人類を救う最終段階の働きよ。これを逃したら、もう救われる機会はないわ。だから、あなたも素早く終わりの日の神の働きを調査して、全能神教会の集会に参加するようにしてね。」母の言葉を聞いて、私はすぐさまフー兄弟が話していた非難宣伝の内容を思い出しました。私は心の中で葛藤しました。でも、私は会話を録音するために、自分の感情を抑えて母の言うことを聞き続け、こっそりと彼女の言葉を録音しました。
その翌日、母は全能神教会の人たちと一緒にインターネットの集会に参加することを私に勧めてきました。私はすかさず拒否してこう言いました、「お母さん、私は彼らの集会に参加するつもりはないし、お母さんにも彼らと集まるのは止めて欲しいの。お母さんは増々彼らの側に付こうとしているわ。」母は穏やかに言いました、「この集会で全能神教会の兄弟姉妹と交流して、聖書に書かれた神の御言葉の新しい理解と知識を得ることができたのよ。だからこそ、私は彼らの交流は光で満ちていて、聖霊の啓示から来ているものだと確信できたの。それに、全能神の御言葉は私の困惑をたくさん解消してくださったのよ。だから、全能神教会には聖霊の働きが本当に宿っていて、全能神の仰せられる御言葉が真理であるっていうことを私は確信したの。」当時、私の頭の中は東方閃電に対する観念でいっぱいになっていたので、私は母の言うことを完全に無視していました。その後、私はフー兄弟が話していた東方閃電に関する非難宣伝をインターネットで検索し始めました。そして、私はそれを母に見せて言いました、「お母さん、見てよ! インターネットにちゃんと書いてあるわ。東方閃電は調査したら駄目だって牧師がよく言っているじゃない。彼らと連絡を取るのはもう止めてよ!」
しかし、母はこの非難宣伝には目もくれず、寛容な口調でこう言いました。「中国共産党は無神論を信じる政党で、神の顕現と働き、信仰を持つ全ての人を嫌うの。中国では、政府がキリスト教とカトリック教をカルトとして、聖書を狂信者の書籍として非難して、無数の聖書が燃やされ、破壊されているわ。政府は聖書の販売すら禁止したのよ。それに、数多くのキリスト教徒とカトリック教徒が捕まり、迫害され、刑務所に入れられて、体に障害を負わされたり、殺された人たちまでいるのよ。その活動は世界や西洋諸国の人権保護団体から何度も強い非難を受けているわ。神に抵抗する中国共産党政府のようなサタンの政権が真実を話すと思う? それに神の顕現と働きについて発言したり、それを誹る権利があるかしら? 牧師と長老に関してだけど、どうして彼らは私たちが終わりの日の神の働きを調査することを許可しないのかしら? そんな行動を取ることが主の教えに適っているのかしら? 主は私たちにこう仰ったのよ。『こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである』(マタイによる福音書5章3節)。 主の御言葉から、私たちが謙そんして探求することを主が望んでおられることは明らかだわ。誰かが主の顕現と働きについて証言しているのを耳にすることがあれば、私たちは前向きにそれを調べるべきなのよ。私たちはそうしてのみ、主の再臨をお迎えすることができるの。あなたは主を信仰しているのよ。ならば、どうして主の代わりに人間の言うことを聞いているの? あなたはまだ、牧師の言葉を聞いて消極的な姿勢をとって、サタン政権の非難宣伝を信じることが主の御心に適っていると思っているの? それは主の御言葉に反していると思わないの? 過去のユダヤ人のしたことを考えてみなさい。彼らは主の福音を求めも調べもせず、むやみにパリサイ人の言うことを聞いて、不純な動機を持っていた人たちが捏造した噂を信じたわ。彼らは、それが理由で主イエス様に抵抗して、非難を向けて、最後は主を十字架に釘付けにして、神の罰を被ったんじゃなかったかしら? 私たちは神にある信者として、主をお迎えする機会を逃してしまわないように、彼らの過ちから学ばなければいけないのよ。ヨハネの黙示録には、次の預言が出てくる箇所がたくさんあります。『耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』(ヨハネの黙示録2章、3章)。 これより、主は再臨なさる時に御言葉を仰せられるということが分かるわ。だから、主の再臨をお迎えしたいのなら、私たちは神の御声を聞くことを学ぶ必要があるの。全能神の仰せられる御言葉が本当に神の御声かどうかはそれを読んで調べないと分からないのよ。」母はこう言った後、『終わりの日のキリストの語られる言葉』 という書籍を手に取って私に渡そうとしてきました。
私は母の持っていた本に目を向けましたが、それを受け取りはしませんでした。なぜなら、私はまだ終わりの日の全能神の働きを受け入れることができなかったからです。なので、私は「そんなの読みたくないわ」、と言った後、背を向けて自分の寝室に向いました。
私は部屋に戻った後、自分の机に向かって座って自分を落ち着かせました。そして、私は母が話していたことを思い出してこう考えました。「確かに、お母さんは正しいわ。東方閃電は主が再臨されたと証言しているけど、私は全能神の言葉を読みもしないで、むやみに牧師の言葉を聞いて、中国共産党の東方閃電に対する非難宣伝を信じてしまっているわ。これは確かに少し思慮に欠けているわ。全能神がもし本当に主の顕現であっても、それを受け入れることを拒否していたら、私は主の再臨をお迎えする機会を逃してしまうわ。でも、終わりの日には偽キリストが現れるって牧師がよく言っているわ。正しい道から逸れてしまったら、主への信仰が無駄になってしまわないかしら?」こう考えていると、私は心の中が動揺しました。私は誰の言うことを聞けば良いのか分からなくなってしまいました。こうして、私は主に呼び掛けました、「ああ、主よ! 私は今までずっとあなたの再臨を待ち望んできました。しかし、私は終わりの日の偽キリストに惑わされてしまわないかと不安です。主よ、東方閃電の信者たちはあなたの再臨を証言しています。あなたが本当に全能神として再臨されておられるのなら、あなたの御声に気付くことができるよう、どうか私を啓き、導いてください!」
その後、私の母は依然として全能神教会の兄弟姉妹たちと一緒にインターネットで集会に参加することを私に勧めてきました。私はしばらく躊躇した後、インターネットにアクセスして集会の内容を聞いてみることにしました。
集会の最初、私は心を静めず、彼らの交流にも耳を傾けませんでした。しかし、その後、ヂャン兄弟が人類を救う神の経営計画、神の三段階の働きの奥義、終わりの日の神の裁きの働き、およびその他の真理の諸側面に関して交流したのを時、私は興味を引かれました。私は聞けば聞くほど、増々彼の交流が新鮮であると感じました。以前参加した聖書の勉強会では、宣教師がただ単に神の不思議な働きがどのような形で神の起こした奇跡に基づいていたかを語ったり、遠い昔から聖徒たちがどのようにして神に従い、神から受けた任務を達成したかについて話すだけで、人類を救う神の経営計画について触れたことは一度もありませんでした。ヂャン兄弟の交流によって私は神がどのようにして人類を管理されているのかを少し理解できました。私は長年に渡って聖書を読んできましたが、このような理解を得たことはありませんでした。この集会の後、私は気が変わり、終わりの日の全能神の働きを調べることにして、録音した母の言葉を削除しました。
その2日後の集会で、私たちは賢明な処女と愚かな処女の違いについて話し合いました。ヂャン兄弟は言いました、「賢明な処女の賢明さは、神の顕現を切望すること、そして神の御声に気が付くということにあります。賢明な処女は知力と素質を有し、真理を愛し、真理を求めます。だからこそ、賢明な処女は主の再臨の知らせを聞くと、それを前向きに探究して、調べることができるのです。このような人々が偽キリストに惑わされることはありません。対照的に、愚かな処女は真理を嫌い、神の御声を聞くことに注意を払わず、神の御声に気が付きません。愚かな処女は困惑していると同時に、識別力を持っていません。なので、主の再臨の話になると、ただ単に自分たちの観念と幻想に固執して、神の働きに抵抗して、非難を向けるのです。例えば、兄弟姉妹の中には、主を信仰していながらも、主の御言葉を聞くことをないがしろにしている人たちがいます。代わりに、彼らは牧師と長老の言うことを聞き、それが何であっても信じます。彼らは、名目上は主を信仰していますが、実際は牧師と長老に従っているのです。他にも、偽キリストをむやみに警戒しているだけの兄弟姉妹もいます。彼らは再臨された主イエス様の御声を聞いても、それを探求することがなければ、調べることもありません。彼らは惑わされることを恐れて心を閉ざしてしまっているのではないでしょうか? そのような人々が主の再臨をお迎えすることができるのでしょうか?」
ヂャン兄弟の言葉は突然私を目覚めさせてくれました。「そうだ! 私は長い間、牧師の言うことを聞いてきたけど、終わりの日の神の働きを調査したことは一度もなかったわ。全能神がもし本当に主イエス様の顕現であるとしたら、私は愚かな処女として暴露されてしまうわ! 主イエス様はかつてこう仰せられたわ。『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう』(マタイによる福音書7章7節)。私は常に主の再臨をお迎えすることを願ってきました。神が既に再臨されたと全能神教会が証言している今、私は賢明な処女になって、終わりの日の全能神の働きを前向きに探究して、調査するべきなのです。神はそれを望んでおられるのです!」私はこうして終わりの日の全能神の働きを調査し続ける決意をしました。
次の集会で、私はこう尋ねました、「兄弟、昨日あなたは賢明な処女になるために大切なことは神の御声を聞くことに集中することだと言われました。私は終わりの日の神の働きをどうやって調査すればよいのか分かるような気がします。しかし、牧師はよく終わりの日に偽キリストが人々を惑わすことについて話しています。ならば、真キリストと偽キリストはどのようにして見極めればよいのでしょうか? 私は真理のこの部分がどうも理解できません。これについて私と交流していただけないでしょうか?」
ヂャン兄弟は言いました、「あなたは大切なポイントを提起されましたね。それは私たちが主の再臨をお迎えできるかどうかに直接関連しています。真キリストと偽キリストを見極める方法に関する真理をちゃんと理解できている限り、偽キリストがどのようにしてキリストになりすましても、私たちが彼らに惑わされることはありません。真キリストと偽キリストの違いを見分ける方法について、主はこう仰っておられます。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう 』(マタイによる福音書24章23-24節)。主の御言葉は、偽キリストが終わりの日に、主として、しるしと奇跡を行って人々を惑わそうとすると明確に語っておられます。偽キリストは全く真理を知らず、悪霊と悪魔の本質を持っているため、人々を欺くためには神が過去になされた働きを真似て、単純なしるしと奇跡を幾つか行う、または聖書を誤解して、意味深い理論を語ることしかできないのです。キリストのみが真理、道、そしていのちであり、キリストのみが真理を表し、私たちに道を指し示し、いのちを与えることがおできになります。キリストを名乗りながらこういったことが出来ない人は、そのいずれも間違いなく偽キリストです。彼らは偽物なのです。この原則に従えば、私たちは基本的に真キリストと偽キリストを見極めることができます。」
私はヂャン兄弟の交流を聞いた後にこの節をさらに詳しく考えてみると、突然こう気が付きました。「確かに、この御言葉には偽キリストが人々を惑わすために大きなしるしと奇跡を行うと述べているわ。でも、どうして聖書に精通している牧師たちが偽キリストを見分けるこの原則に気付けなかったのかしら?」
その後、ヂャン兄弟は全能神の御言葉のこの節を掲示しました。「この時代に、しるしや不思議を起こし、悪霊を追い払い、病人を癒やし、多くの奇跡を行える人が現れて、またその人が自分は再来したイエスであると主張したなら、それはイエスのまねをしている邪霊による偽物である。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。……もし終わりの日に神がいまだにしるしや奇跡を示し、まだ悪霊を追い払ったり病人を癒やしたりしていたら、神がイエスとまったく同じようにしたならば、神はイエスと同じ働きを繰り返していることになり、イエスの働きは無意味で無価値ということになる。だから、神は時代ごとにひとつの段階の働きをするのである。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを邪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろをついてくるようになれば、神は方法を変更する。ひとたび神が一つの段階の働きを完了すると、邪霊がまねをする。このことをよく理解しなければならない」(「今日の神の働きを知ること」『言葉は肉において現れる』)
そして、ヂャン兄弟はこう言って交流しました、「全能神の御言葉から、神は常に新しく、決して古くなく、決して同じ働きを繰り返されないということが分かります。神は新たな段階の働きをされる度に、新たな御言葉を仰せられ、人々に新たな実践の道をもたしてくださります。例えば、主イエス様は来臨された時、律法と戒めを発布する働きは繰り返されませんでした。代わりに、主はその働きを土台にして、人類の罪を贖う段階の働きをなされました。主は当時の人々に実践の新たな道をお与えになったのです。例えば、主は人々に罪を告白して悔い改めること、敵を愛すること、許す心を学ぶこと、そしてお互いを愛し合うことを教えられました。終わりの日には、全能神が来臨されました。全能神は悔い改めの道は繰り返されませんでした。代わりに、全能神は贖いの働きを土台にして、人々を裁いて清める御言葉を宣べ伝える段階の働きをなさりました。この段階の働きでは、全能神はしるしと奇跡は行われません。むしろ、実際に御言葉を仰せられ、私たちの堕落した性質を暴露され、私たちの不義を裁かれます。同時に、全能神は、私たちが救いを得るために必要な真理を全て私たちにお伝えくださり、それは私たちが自分の性質を変えるために歩む必要がある道について明確に理解できるようにしてくださります。そうすることで、私たちはサタンのような堕落した性質を脱却し、ゆくゆくは神に天国に連れて行っていただけるようになるのです。しかし、偽キリストのほとんどは悪霊に取り付かれています。彼らは極めて傲慢で、不合理です。彼らは新たな時代を開くことも、古い時代を閉じることもできず、まして真理を表して人々に性質を変える道を示すことなどもちろんできません。彼らは主イエス様が既になされた働きを真似ることしかできません。彼らは人々を惑わすために単純なしるしと奇跡を行うことしかできません。彼らは死人を蘇らせたり、5つのパンと2匹の魚で5000人を食べさせるといった、主イエス様がなされた大きなしるしと奇跡を行うことはできません。なぜなら、これらは彼らの能力を確実に超えるもので、このような権威と力は神のみがお持ちであるからです。」
ヂャン兄弟の交流を聞いて、私は初めて「神の働きは常に新しく、決して古くない。一方で、偽キリストは神が過去になさった働きを真似て、単純なしるしと奇跡を幾つか行うことしかできず、神の働きを行うことはできない。なので、神の働きの原則を理解している限り、私は惑わされることはない」、と理解しました。以前、私は惑わされることを恐れて、東方閃電の宣教を聞こうとはせず、終わりの日の全能神の働きはなおさら探求しようとも、調査しようとしていませんでした。私は普段自分が説教を聞いて主を讃えている教会にしがみついていることが一番安全なことであり、そうしていれば主に会うことができると考えていたのです。これを今振り返ってみると、私は、主の再臨を宣教するいずれの人に対しても消極的な守りの姿勢をとり、終わりの日の主の御言葉を積極的に探求できていなかったことで、自分が主をお迎えする機会を実に逃しやすくなっていたことが分かりました。
つづき