ヂャン兄弟は続けて交流しました、「神は真理、道、そしていのちです。なので、真キリストと偽キリストを見極めるには、神の働きの原則を知ることに加えて、その見極めを彼らの本質に基づける必要もあります。」そして、ヂャン兄弟は神の御言葉のこの節を掲示しました。「受肉した神はキリストと呼ばれるので、人に真理を与えられるキリストは神と呼ばれる。ここには何の誇張もない。なぜなら、そのキリストは神の本質を有し、神の性質を有し、その働きには知恵があり、これらはどれも人間の手の届かないものだからである。キリストを自称しながら神の働きを行なえない者は、詐欺師である。キリストは、単なる地上における神の顕現ではなく、人の間で働きを行ない、それを完成させるにあたって神が宿った特有の肉体でもある。この肉体は誰でも取って代われるものではなく、地上における神の働きを適切に引き受け、神の性質を表わし、神を十分に象徴し、人にいのちを与えられる肉体である。遅かれ早かれ、キリストになりすましている者たちはみな倒れる。彼らはキリストを自称しながら、キリストの本質を何ひとつ有していないからである。ゆえにわたしは、キリストの真偽は人が定められるものではなく、神自身が答えて決めるものだと言う」(「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」『言葉は肉において現れる』)
ヂャン兄弟は言いました。「神の御言葉から、キリストは神の御霊が受肉された御姿であること、キリストは神性の性質を持っておられること、キリストがなさる働きは神の働きであること、キリストがお見せになる性質は神の性質であること、そしてキリストはいつどこに居ても真理を表して、人間を備え、導くことがおできになるということが分かります。人類を救う働きができるのは、キリストだけです。例えば、主イエス様はキリストであります。主の来臨と働きは律法の時代を終え、恵みの時代を始められました。主は御言葉を仰せられ、人類に悔い改めの道をお与えになり、人類が神の御心と要求を明確に知り、苦難の中でも実践する道を持てるようにしてくださりました。人々は主の御言葉を通じて、主に祈りを捧げる方法、他人と触れ合う方法、他人を許す方法等を理解しました。さらに、主は神の恵みと慈しみの性質を見せてくださりました。主は病人を癒し、悪霊を追い出し、人々に無限の恵みを与えてくださりました。最後に、主は人類の罪を贖うために十字架に釘付けにされ、全人類の罪の贖いを全うされました。その結果、人類は律法の制約と束縛から救い出され、律法違反により有罪とされて死刑に処される危険を免れたのです。この働きは、他のいずれの者でも行うことはできません。なので、主の御言葉から、主イエス様は真理、道、そしていのちであるということが分かります。同様に、神は終わりの日に、もう一度受肉されて、恵みの時代を完結され、神の国の時代を始められました。神は何百万にも及ぶ御言葉を仰せられ、裁きと清めの段階の働きを実行され、神の義なる、威厳と怒りに満ちた、害することのできない性質をお見せになりました。全能神の御言葉は神の経営計画全体の奥義、人類の最後および将来の終着点を明らかにされました。さらに、人間の欠乏に焦点を当てたこれらの御言葉は、人間が清められ、救われるために必要な真理の全てを人間に対して明快に与えておられます。例として、それは、『サタンがどのように人類を堕落させるか、人間がサタンから受けた堕落の本質と真理、神がどのように人間の堕落した性質を裁き、清められるか、神を信仰する方法、神に従う方法、神はどのような人を好まれ、どのような人を嫌われ、排除されるのか、そして神に完全にしていただくことを追求する方法』等が含まれます。私たちは神の御言葉による裁きと刑罰を受けて、私たちがサタンから受けた堕落の本質と根源を理解し、神の義なる、聖なる、そして害することができない性質を認識しました。私たちは神の御前にひれ伏して、純粋な自責の念を感じずにはいられなくなります。そして、私たちは神に対してより畏敬、かつ従順になり、そして神の救いを得ようと自分の堕落した性質を少しずつ払拭し、罪の束縛を一掃し始めるのです。全能神の御言葉と働きは人間に真理、道、そしていのちをもたらした。全能神は神御自身であり、肉となられたキリストなのです。しかし、偽キリストは神の本質を持っていないため、真理を表すことはできませんし、まして人類を救う働きなどはもちろんできません。彼らは人々を惑わし、傷つけるために虚しい言葉を発することしかできないのです。人々は彼らの言葉を聞いても、いのちの糧が全く得られないし、進む道も全く見い出せません。また、彼らの魂は増々暗くなり、落胆していきます。最終的に、彼らはサタンにのみ尽くされてしまうのです。従い、受肉された神の御言葉、働き、そして性質から、真理、道、そしていのちを持つ御方のみがキリストであるということが分かります。」
全能神の御言葉とヂャン兄弟の交流を読んだ後、私は真キリストと偽キリストの見極め方に関する真理を完全に理解しました。私はこう思いました。「その通りだわ。キリストのみが真理で、道で、いのちなのよ。真理を表して神御自身の働きをする御方のみがキリストなんだわ。キリストを名乗りながら真理を表せないし、人類を救う働きができない人は偽キリストなのよ。今日、私は正しい道を見い出したわ。これでもう、偽キリストに惑わされることを怖がってむやにみ警戒する必要はなくなったわ。神に感謝します。」
それからしばらくの間、ヂャン兄弟は受肉の奥義、神の働きと人間の働きの違い、聖書の知られざる奥義など、真理のその他の側面について私と交流してくれました。私は彼の交流を聞けば聞くほど、増々その内容に納得していきました。私は全能神教会の兄弟姉妹と集まることが毎日楽しみになり、毎回集会の後には自分が学んだ光を母に話しました。私は次第に、終わりの日の神の働きが少しは分かるようになりました。しばらく探求して、調査した後、私は全能神が主イエス様の再臨であることを確信しました。その後、私は、主が再臨されていることを神の来臨を切望する人たちにどんどん伝えていくために、福音を宣教し始めました。
2018年5月のある金曜日、母と私は元々通っていた教会に行きました。しかし、礼拝式の最後になると、何人かの人が全能神教会を罪に陥れる様子を映した動画を牧師が再生し始めたのです。彼らが口にした噂と中傷を聞いて、私はとても憤慨しました。私は思いました。「全能神教会は全く彼らが説明するようなものではないわ。彼らはこの教会と連絡を取ってもいないし、終わりの日の神の働きを調査してもいない。なのに、彼らは一体何を根拠に神の働きを好き勝手に非難しているっていうの?」
動画が終わった後、牧師と2人の執事、そして理事が母と私に残るように言ってきました。そして、牧師は私たちに言いました、「あなた方2人は全能神への信仰を始めたのですか?」私たちは「はい」、と答えました。
意外にも、私たちがこう言ったとたんに、執事が勢いよく立上り、私の母を指さしながら激しく口調でこう言いました、「まさか本当に全能神を信じているとは。ならば、明日からはもう日曜学校を教えるのは止めてもらいます。明日の午後、お宅まで教会資金を取りに行きますからね。」
私の母は言いました、「いつ取りに来て頂いても構いませんよ。」
そして、牧師は不機嫌そうに言いました、「宗教界全体が全能神教会に抵抗して、それを非難しているというのに。どうして彼らと関わりを持つ必要があるんですか?」
私の母は言い返しました、「牧師、宗教界には真理がありますか? 宗教界の言う通りにしていれば主の再臨をお迎えできると、主イエス様が仰せられたことはありますか? イエスが働きをしに来られた時のことを振り返ってみてください。ユダヤ教の指導者たちはイエスの働きの探求と調査をしなかっただけでなく、ユダヤ人がそれを受け入れる邪魔もしました。彼らは噂を捏造して、狂信的にイエスに抵抗し、イエスを裁いて冒涜すらしました。最終的に、彼らは神を怒らせて、神の呪いと罰を被りました。あなたの言い分だと、宗教界が抵抗して非難しているのは真の道ではないということですが、それはあなたがイエスの働きを否定しているということではありませんか? 宗教界が全能神教会に抵抗し、それを非難しているからと言って、あなたは終わりの日の神の働きを探求することも、調査することも拒否しています。これは真理に適っているのでしょうか? 牧師や執事であるあなた方が、どうして終わりの日の全能神の働きを調査せずに、それを恣意的に非難し、裁いているのですか? 私たちは全能神の御言葉をたくさん読み、それらが全て真理であり、神の御声であることを知りました。だからこそ、私たちは全能神が再臨された主イエス様であると確信しているのです。」しかし、意外にも、彼らは私の母の言い分を聞いた後ですら、それを軽視して、全く受け入れてくれませんでした。
そして、私の母は全能神教会のモバイルアプリを開いて、彼らに全能神の御言葉を読みました。それを聞いた後、理事が傲慢な態度で神を冒涜する発言をしました。そして、私の母はこれに憤慨して言いました、「あなたが高慢すぎます! この御言葉は真理です。あなたはそれが分からないのですか? あなたは神の御声が分からないのですか? あなたはそれでも本当に神の羊なんですか?」
彼らは傲慢に蔑視する態度で悪意に満ちた笑みを浮かべました。牧師は言いました、「私たちが待つ主イエス様はユダヤ人の御姿で、御手に釘の跡がついたまま来られます。私たちは、その主イエス様以外は誰も受け入れません、全能神の言葉が真理であったとしてもです。」彼らのとても頑固な様子を見た母と私は、もう何も言いたくなくなってしまいました。私は、彼らの振る舞いは、主イエス様に抵抗したパリサイ人のと全く同じであったことを目の当たりにしたのです。彼らは神を信仰していながらも、真理を求めず、神の御声を聞くことに注意してもいませんでした。代わりに、彼らは傲慢な態度で自分たちの観念と想像を固持し、恣意に神の働きを非難し、それに抵抗し続けたのです。彼らは神に仕えながら、神に抵抗していたのです。
その後、牧師は母と私を脅してきました、「1か月、考える時間をあげましょう。それでも全能神を信仰すると言うなら、あなた方を教会から追放します。」
私は頭にきて言いました、「考える時間なんて要りません。今すぐ追放していただいて構いませんよ。私たちは最近終わりの日の神の働きを求め、検索した結果、全能神が再臨された主イエス様であると既に確信していますから。私たちはやっと神の御声を聞くができたのです。追放されなくても、この教会に戻って集会に参加することはもう二度とありません。」
牧師は小声で悪賢そうに言いました、「いえいえ、今あなた方を追放したら、私たちは兄弟姉妹にどう思われてしまうことか。インターネットの集会に参加していただけであなた方を追放したと言われてしまう。そうしたら、無情な人たちだと思われてしまうでしょう? 私たちは最善を尽くしてあなた方にここに残るよう説得しようとした上に、じっくり考える時間も設けてあげたのに、それでもあなた方は全能神を信仰すると言い張ってこの教会を去る決意をしたから、私たちはあなた方を追放したと、1か月後に彼らに伝えます。」
私は彼の言葉を聞いて、とても不愉快になり、彼らにはもう何も言いたくなくなりました。こうして、私は母を掴んでそこを去ろうとしました。私たちがそこを出る前、牧師は私たちにこう釘を刺してきました、「全能神を信仰するのはあなた方の勝手です。しかし、私たちの教会の兄弟姉妹と連絡を取ることは許しませんからね。」
私たちが教会を出た時、時間は既に夜中の1時を回っていました。私は、今起こったことを振り返り、私たちが高潔な人格の持ち主だと思い、心の中で深く尊敬していた牧師と宣教師たちが、実際はこんな人たちであったとは思ってもいませんでした。その時、神のこの御言葉が頭に浮かびました。「荘厳な教会で聖書を読み、一日中聖句を唱える人がいるが、そうした人は誰一人として神の働きの目的を理解していない。そうした人は誰一人として神を知ることができず、ましてや神の心意と一致することなど到底できない。そのような人はみな、価値のない下劣な人であり、高い位置から神を説く。神を旗印に使いながらも、故意に神に反対する。神を信じていると断言しながらも、人の肉を食べ、人の血を飲む。そのような人はみな、人の魂を食い尽くす悪魔であり、正しい道を歩もうとする人をわざと邪魔する悪霊の頭であり、神を求める人を妨害するつまずきの石である。彼らは『健全な体質』をしているように見えるかもしれないが、神に対抗するように人々を導く反キリストに他ならないことを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか。彼らが人間の魂をむさぼり食うことを専門とする生きた悪魔であることを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか」(「神を知らない人はすべて神に反対する人である」『言葉は肉において現れる』)
以前、私は、牧師と長老たちは主に仕える人たちで、彼らは聖書を最も深く理解し、神の御心に最も適っているべきであり、主が再臨される時は間違いなく主をお迎えになると常に思っていました。しかし、驚いたことに、牧師と宣教師は主の再臨の知らせを聞いた時、それを探求しなければ、調査もしなかったどころか、彼らはとても傲慢で、独善的で、自分たちの観念と想像に固執し、神と終わりの日の神の働きを裁き、非難し、神を恐れる心を持ってすらいなかったのです。更に酷いことに、彼らは自分たちの地位と生活を維持するため、「信者を守る」という名の下で信者たちが終わりの日の神の働きを調査することを妨げ、制限していたのです。そして、彼らは終わりの日の神の働きを受け入れた信者たちに圧力をかけるために彼らを脅迫し、彼らが全能神への信仰を諦め、真の道に背き、最終的には救われる機会を逃すよう仕向けていたのです。使用可能な手段を全て使ってもこの信者たちを妨害できない場合、彼らは他の兄弟姉妹たちがこの信者たちを拒絶するようにこの信者たちを教会から追放する手段を使いました。それは、この信者たちが他の兄弟姉妹たちに福音を伝導するのを防ぐことが目的だったのです。牧師と宣教師たちは本当に陰険で、悪意に満ちていたのです。パリサイ人は当時、自分たちの地位と生活を守るために狂信的に主イエス様に抵抗し、非難を向け、そして主を十字架に磔にしました。彼らを現代の牧師と長老に照らし合わせてみると、私は現代の牧師と長老の本質は当時のパリサイ人のと同じであり、彼らは終わりの日の神の働きが暴露した反キリストであり、霊をのみ尽くす悪魔であることに気が付きました。私はその時まで、信者は神もしくは神の働きを知らないと、表面的にはどれだけ働き、どれだけ苦難に耐えていようとも、自分の傲慢でうぬぼれたサタンの性質に頼って神に抵抗し、神を怒らせてしまうということを完全には認識していませんでした。
それと同時に、私は神を讃え、神に感謝せずにはいられませんでした。私は自分が牧師と長老の偽善的な装いに惑わされていたこと、いつも彼らを崇拝し、彼らの言うことを聞いていたこと、そして、主の再臨をお迎えすることについて、彼らに従いながら神に抵抗すらしていたことを思い起こしました。神の啓示は、私が彼らの罠から抜け出して主の再臨をお迎えできるよう、私が真理と神を嫌う牧師と長老の邪悪な性質を見抜けるようにしてくださったのです。私は神の救いに心から感謝しました。私は、将来の信仰生活において、一生懸命に真理を追い求めて神の愛に報いたいと思います。