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真のキリストと偽キリストの見極め方

信仰ステーションの兄弟姉妹たちの皆さんへ、

こんにちは!

私の名前はリ・リと言います。私は家庭教会を管理している指導者です。私たちはある者が主イエス様は既に再臨されていると説いているのを耳にしました、しかし聖書では主イエス様は、「そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。」 (マタイによる福音書24:23-24)、と仰っておられます。これらの御言葉から、主が再臨なさる時にはありとあらゆる偽キリストと偽預言者が信者たちを欺くために現れることが理解できます。それ故に、私たちは偽キリストに騙されるのが怖くて、探求や調査することができません。しかし、私たちは主が、「しかり、わたしはすぐに来る」(ヨハネの黙示録22:20)、と仰ったことを考えると、主がお越しになる時に主をお迎えする機会を逃してしまのではないかと懸念しています。私たちはとても心配しています。兄弟姉妹のみなさん、私たちはどのように実践すればいいのか分からないです。それと、どうか私たちと真のキリストと偽キリストの見極め方について交流してください。

リ・リより

2018年10月2日

リ・リ姉妹へ、

こんにちは!あなたは教会の指導者として兄弟姉妹たちのいのちの責任を担っています。あなたが交流を求めているのは真理を切望し、神の御旨を大切にしているということです。今は終わりの日の末期、主イエス様が再臨なさる非常に重要な時です。この時期に必ず多くの偽キリストが現れて人間を騙すでしょう。あなたが彼らに騙されてしまい、主に引き上げていただく機会を逃すことを懸念するのは理解できます。ご質問について、一緒に真理を探求して交流しましょう。

主イエス様が私たちの場所の準備ができたら私たちを受け入れるためにお戻りになると、かつて約束されたことは誰もが知っています。最近、終わりの日が到来しました。偽キリストに騙されることを恐れ、自らを守るばかりで探求し調査することを拒んでいたのでは、主をお迎えすることなどできるはずがありません。主イエス様はかつて私たちにこう仰りました:「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」(マタイによる福音書25:6)。「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。」(ヨハネによる福音書10:27)。ヨハネの黙示録では、「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」(ヨハネの黙示録2:7)、ということが何度も強調されています。私たちは、これらの御言葉を通じ、主はお戻りになる時もその御声を発せられると理解しています。主の御声を聞いて、それが主であると気が付く者たちのみが主をお迎えすることができ、そのような人間は賢い乙女であり、主の羊であります。主がお戻りになったのを誰かが目撃しても、それを調査することも、主の御声を聞くこともなければ、主をお迎えすることなどできるわけがありません。

主の再臨の預言を調査する時、多くのクリスチャンは自らを偽キリストや偽預言者たちから守ることを重要視しますが、花婿の来臨をお迎えすることや、花婿の御声を聞くことにもっと注意を払うということはしていません。これは何が問題なのでしょう?これは喉を詰まらせることを恐れて食事をせず、得ることよりも多くを失うことになるという振る舞いではないでしょうか?実際、私たち人間は偽キリストや偽預言者から自らをどれだけ守ろうとしても、主の再臨をお迎えして神の御座の前に引き上げていただくことができなければ、愚かな乙女となり、神に排除され、見捨てられてしまうでしょう。そうしたら、私たちの神への信仰は完全な失敗に帰してしまわないでしょうか?

主の再臨をお迎えして、偽キリストと偽預言者から騙されることを避けたいのであれば、私たちは偽キリストがどのように人間を騙すのかを明確に理解しておく必要があります。実は、主イエス様は既に私たちに偽キリストと偽預言者の行いについて話してくださっておられます。主イエス様はこう仰りました:「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。」(マタイによる福音書24:24)。主イエス様の御言葉から、偽キリストと偽預言者は主として大きなしるしと不思議な業を表して神の選ばれし人々を欺き、それは彼らが主として発現させることであることが分かります。この点について、私たちは偽キリストが人間を騙すためにしるしと不思議な業を見せるのは、彼らは何の真理も持っていないからであることを理解しておく必要があります。彼らは本性的かつ本質的に極めて邪悪な霊なのです。そして、彼らは人間を救い清める働きも、私たちに歩むべき道を示すことも、私たちにいのちを備えることも全くできないので、人間を騙すためにはしるしと不思議な業を見せることに頼るしかないのです。彼らは真理を持っていたら、人間を騙すためにしるしと不思議な業を使うことは絶対にないでしょう。従って、偽キリストと偽預言者がしるしと不思議な業を見せるということは、彼らが策に尽きていることを明示しているのです。私たちはこの点を見抜く必要があります。これができないと、私たちはより簡単に騙されてしまいます。

私はある霊的書籍の中で次の2節の御言葉を目にしました:「この時代に、しるしや不思議を起こせる人が現れ、悪魔を追い払い、癒やし、多くの奇跡を起こし、またその人がイエスの再来であると主張したなら、それは悪霊が偽ってイエスのまねをしているのである。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。… 人間の観念では、神は常にしるしや不思議を見せ、癒やし、悪霊を追い払い、いつでもイエスのようでなければならないのだが、今の神はまったくの別物である。もし終わりの日に神がしるしや奇跡を示し、まだ悪霊を追い払ったり癒やしたりしていたら──それならば、神はイエスの働きと同じ働きを繰り返していることになり、イエスの働きは無意味で無価値ということになる。だから、神は、時代ごとにひとつの段階の働きをするのだ。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを悪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろからついていく。神は方法を変更する。一度神がその段階の働きを完了すると、悪霊がまねをする。こうしたことを理解しておきなさい。」「神の働きは人が抱く観念とは決して一致しない。神の働きはいつも新しく、決して古くないからである。神は古い働きを決して繰り返さず、むしろこれまでなされたことのない仕事を行う。」

姉妹、これらの御言葉から、神の働きは常に新しく、決して古くないことが分かります。神は同じ働きはなさりません。主イエス様が働きに来られた時も、主は恵みの時代を開始され、律法の時代を終了され、贖いの段階の働きをなされました。主は病人を治され、悪霊を追い払われ、多くのしるしと不思議な業をなされ、人間に豊富な恵みをお与えくださりました。最後に主は十字架に磔にされて人間の罪を贖ってくださったのです。主イエス様の人間を贖う働きは既に成就しているので、神はもうその働きはなさりません。偽キリストたちはどうでしょう?彼らは皆、キリストを装う邪悪な霊で、新たな時代を迎え入れ、古い時代を終える働きは全くできません。彼らは混乱して識別力を持たない人間を騙すために単純なしるしと不思議な業を見せて主イエス様の真似をすることしかできず、主イエス様がなされた奇跡をまねて起こすことなどできません、そして例えば、主イエス様のように死者を蘇らせたり、5つのパンと2匹の魚だけで5000人を食べさせたり、風と海を叱るといったことは間違ってもできないのです。こういったことより、私たちは主イエス様がかつて、「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。」(マタイによる福音書24:24)、と言って私たちに警告なさった理由が分かります。主は私たちが、しるしと不思議な業を見せて主イエス様を装う邪悪な霊から自分たちを守れるようにしてくださっています。彼らは偽キリストであり、私たちが識別して拒むべき者たちです。これこそが、これらの御言葉における主の御旨であります。しかし、私たちは主の御心を理解せず、主の御言葉を誤解し、神の再臨を証言する者たちを誤っていると非難すらしました。これは極めて不合理なことでないでしょうか?私たちは神の善良な御旨に逆らっているのではないでしょうか?私たちにはこのような途方もないことができてしまい、それは私たちが偽キリストを識別できないことだけでなく、真キリストを知る方法を理解してもいないことを示しているのです。

他にもこの御言葉の節があります:「神は肉となりキリストと呼ばれ、真理を人に与えることのできるキリストは神と呼ばれる。ここには何の誇張もない。なぜなら、彼は神の本質を持っており、神の性質を持っており、その働きには知恵があり、これらはどれも人間の手の届かないものだからだ。自らキリストを称するが、神の働きを行えない者は、詐欺師である。キリストは、単なる地上における神の顕現ではなく、神が人の間で業を行い完成させるため神が宿った特有の肉体である。この肉体は、誰でも代われるものではなく、地上における神の業を適切に引き受け、神の性質を表し、神を十分に象徴し、人にいのちを与えるものである。遅かれ早かれ、キリストを騙る者はみな倒れる。彼らはキリストと自称しながら、キリストの本質は全く持っていないからだ。だから、キリストの真偽は人が定めることのできるものではなく、神自身が答え定めるものだとわたしは言うのだ。」姉妹、キリスト様は肉となられた神であり、神の魂が顕現した肉であり、すなわち、それは神が有するものと神そのもの、神の性質と神の知恵全てが肉に顕現しているということなのです。キリスト様は神性な本質をお持ちで、真理そのものであります。キリスト様は何時、何処でも真理を表して人間に供給し、人間を導くことがおできになります。キリスト様のみが人間を贖い救う働きがおできになり、それは誰も真似ることはできないのです。これは正に誰も否定できない事実なのです。対照的に、偽キリストは誰もが邪悪な霊に取りつかれており、その全員が極めて傲慢で不条理です。彼らは邪悪な霊であり、悪魔であるため、どのようにしてしるしや不思議な業を見せ、聖書の内容を歪曲したり、深遠な知識や教義を口にしても、彼らのやっていることは、人間を欺き、傷つけ、没落させ、人間に何らかの霊的成長を具えることもなく、ただ単に人間が絶えず暗闇に陥り、歩む道を持てずに最終的にはサタンに破滅させられるようにするだけなのです。偽キリストと偽預言者はその全員が神の働きを邪魔して妨害するサタンと邪悪な悪魔の化身であることは明らかです。これ故に、どれだけの人々を騙し、傷つけ、没落させても、彼らは何の真理も持たないのですぐに滅び、消えていくでしょう。姉妹、私たちは真キリストと偽キリストの見分け方に関する真理を本当に理解しているのなら、絶対に、偽キリストに騙されるのが怖いからといって、神の御声を聞くことや、神の顕現をお迎えすることを拒否してはいけないのです。

リ・リ姉妹、真キリストを偽キリストから見分ける方法ですが、あなたはその知識を少しお持ちかもしれません。キリスト様のみが真理、道、そしていのちであります。新な時代を迎え入れ、古い時代の幕を閉じ、人間を清め救うために真理を表し、人間にいのちを与えることができるのはキリスト様であります。真理を表すことができず、人間を騙すために単純なしるしと不思議な業を見せることしかできない者は間違いなく偽キリスト、欺瞞者なのです。これが真キリストと偽キリストを見極めるための基本原則です。真の道を求め、調査する者は全員がこの原則に従って神の御声を求め、それを確認するべきです。これが間違いであることは絶対にあり得ません。真理のこの側面を理解できれば、私たちは偽キリストと偽預言者に騙されることを心配しないでしょう。

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