噂や嘘を見抜いた後は光が見つかるでしょう (I)
寄稿家:シャオカオ(米国)
「賢い人は噂に耳を傾けない」という諺があるように、根拠のない噂は応じる価値がありません。しかし、噂が広まってきた時、私たちはそれをどう扱うべきでしょう?特に、真の道を調べている時、私たちクリスチャンは噂を耳にしながらどのように真理を求めるべきなのでしょう?
私は偶然の機会により神の御国に関する福音を耳にしました。兄弟姉妹たちとの集会に数回参加した後、私は人類の起源の真理、人類の退廃の根源、神の働きの3つの段階に関する内なる真実、受肉の奥義と重要性、そしてその他の点について知りました。私はまた神の人間を救う働きに関する理解もいくつか得ました。私は彼らの交流を聞けば聞くほど、心の中が増々嬉しくなっていきました。その後の集会で、デン兄弟がこう交流しました、「主イエス様がお戻りになり、かなり前に中国で受肉されて新しい働きを実行されています。世の終わりの主の働きは東から西へと広まっています。」私はこれを聞いてとても興奮しました:「神は既に地上で働きをなされたのか!主をお迎えできるほど自分が幸運だとは思っていなかった。主に感謝します!どうりで彼らの交流は筋が良く通っているわけだ。彼らは神の新しい働きに従っていたんだ。」集会に行く度に多くを学び、全能神教会の兄弟姉妹たちと一緒にいることに喜びを感じた私は、集会に参加するのが増々好きになっていきました。一度、ある集会の終わりに、リー姉妹が私たちを率先して神に祈りを捧げました。私は彼女が祈りの中で、「無数に存在する人間の中からこの姉妹を選んでくださったことを神に感謝いたします。。。」と言ったのを聞いた時、私の心のに温かい気持ちが流れ込み、私は思わず涙してしまいました。私たちはお互いのことを知りませんでしたが、彼らは私を家族のように扱ってくださり、私は家族の温かさを感じることができました。神のみが愛を貫くよう人間を導くことがおできるになるのです。神様に感謝いたします!こう考えると、私は神の愛に対して感謝の気持ちでいっぱいになりました。神は私を無数に存在する人間の中から選んでくださり、神の前に行けるほど幸運にしてくださったのです。
そのおよそ1か月後、私は娘に電話をし、彼女も私と一緒に神を信仰してくれることを期待しながら良い知らせを伝えました。予想外なことに、私の言葉を聞いた彼女はインターネットで全能神教会を検索したのです。彼女は否定的な情報を目にしたとたんこう言いました、「お母さん、良くない教会を選んでしまっているわ、すぐに脱会して。インターネットでその情報を調べたら分かるから。」これを聞いた私は呆気にとられ、これが信じられませんでした。私はこう思いました:「全能神教会の兄弟姉妹たちは皆良識があって、上品なのに。集会では神の御言葉について交流しているし、彼らの交流はとても啓蒙的だったわ。」よって私は彼女に自分の考えを伝えました。すると、娘は電話でこう言いました、「とにかく自分でインターネットで確認して!」彼女はこういった後、私にウェブサイトのリンクを送ってきました。私がそのリンクをクリックすると、そこには宗教界と中国共産党による全能神を中傷および攻撃する言葉がありました。特に「5・28山東省招遠事件」という文字を見た時は何のことだか分からずこう思いました、「これは何のことかしら?私の信仰は間違っているの?でも兄弟姉妹たちは私に優しくしてくれるし、教会は踊りと讃美歌の動画を沢山持っているわ。これは聖霊の働きの効果じゃないの?でも、インターネット上の情報も筋が通っているように見えるし、正しいのかもしれないわ。ああ、間違った道を歩んでしまっていたらどうしましょう?」私は考えれば考えるほど、真の道と偽の道を見分けられず、誤った道を選んでしまったのではないかと怖くなって増々心配になりました。そして、私は全能神教会の集会には参加しないことにしたのです。
翌日は日曜日で、私の隣の家の人が一緒に教会に行こうと誘ってきました。インターネット上で目にした悪い噂のことを考えると、私にはまだ疑問がありました。全能神教会による説教とこの教会による説教の違いを知るため、私は彼女と一緒に行きました。しかし、牧師が説いていた内容は全ては聖書における理論と神学的な知識ばかりで、私たちが実際に抱えている困難は全く解決しませんでした。私はこの説教を聞けば聞くほど、増々退屈になり、何の喜びを見つけることもできませんでした。特に、牧師が最後に、「主イエス様がお戻りになる時、」と言った時、私はこのように困惑しました:「全能神教会の兄弟姉妹は世の終わりに神は既に肉として地上に現れて、何年間も働きをされ、沢山の御言葉を表されたと言っていたけど。その御言葉には権威と力があって、まるで神の御声のようだったわ。主は既に来られているようだけど。彼らはどうして未だに主の再臨を待っているの?ちょっと遅れ過ぎじゃないかしら?」集会の最中、働き手は袋を持って2回も各信者の所に歩いて行き、集金をしていました。私はこの行いをとても嫌いました:献金は任意で行うべきことなのに、彼らの振る舞いは私たちに強制的にやらせているように見えたのです。集会の後、私はこの教会からは得るものがないと感じ、もうそこへは行きませんでした。
しかし、噂の影響を受けていた私は全能神教会に行って真の道を調査する勇気がありませんでした。姉妹たちから集会に誘われても、私は親戚の子供の面倒をみる必要があるふりをして断りました。しかし、彼女たちの誘いを断った後、私はいい気がしませんでした。その半月の間、私は時々、彼女たちと集会に参加している様子や彼女たちの誠実な表情が頭に浮かびました。このような思いが頭に浮かんだ時、私は少し悲しくなりました。私は思わず心の中でこう考えました:「インターネット上の否定的な情報は正しいのかしら? 全能神が本当に主イエス様の再臨だとしたら、私は救われる機会を逃してしまうのかしら?」私が途方に暮れていたちょうどその時、リー姉妹から公園に散歩に行こうという誘いのメッセージを受けました。最近この状況について心配になっていた私はこの機会を使って彼女の意見を求めようと思いました。公園に到着した後、私は彼女に自分の抱えていた困惑の内容を伝えました。彼女は自分の体験と、世の終わりの神の働きを受け入れた後どのようにして噂を振り払ったかについて話してくれました。彼女は、神は真理、道、そしていのちであられる故に、人間は真の道を調査するなら神の御声に耳を傾けることを学ぶべきだとも言われました。私は彼女の話は筋が通っていると感じましたが、帰宅後、私は又しても噂のことを考えてしまい、未だに少し怖い気がしました。その2日後、姉妹はまた訪れて来て私を集会に誘ってくれました。私は何度も断っていたにもかかわらず、彼女たちは変わらず辛抱強く私を助け、支えてくれました。私は彼女たちの誠実な姿勢に心を打たれ、ついに誘いを受けることにしました。
集会の場で、姉妹たちは私の困惑を踏まえて真の道と偽の道を見極めることに関する真理について私と交流してくれました。これが神の御言葉です、「真の道と偽りの道とを判別するには、いくつかの基本的な知識が必要だ。最も基本的なことは、そこに聖霊の働きがあるかどうか、ということである。人間の神への信仰の真髄は神の霊を信じることであるからだ。受肉した神への信仰も、その肉が神の霊の体現であることに基づいている。だから、そうした信仰はなおも聖霊への信仰であるということになる。霊と肉の間には違いがある。しかし、この肉体は霊から来たものであり、肉となった言葉であるのだから、人間が信じるのは、なおも神に内在する実質なのだ。そこで、それが真の道であるかどうかを区別するには、何よりもまず、そこに聖霊の働きがあるかどうかを見て、その後で、その道に真理があるかどうかを見るのだ。この真理は正常の人間性のいのちの性質である。つまり、神がはじめに人間を創造した時に人間に要求したこと、すなわち、(人間の理知、見識、知恵そして、人間であることの基本的な知識を含む)正常の人間性すべてである。即ち、この道が人間を正常な人間性の生活に導くものかどうかを見極めなければならない。述べられている真理が正常の人間性の現実において必要なものかどうか、この真理が実用的で現実的であるかどうか、また、それは最も時宜にかなったものであるかどうか、といったことを見極めなければならない。もし真理があるのなら、それは人間を普通の現実的経験へと導くことができるはずだ。更に、人間はいっそう正常になり、人間としての理知はより完全になる。人間の肉体における生活と霊的生活とはさらに秩序あるものとなり、喜怒哀楽はより正常なものとなる。これが第二の原則である。もうひとつの原則がある。それは、人間は神についてより多くの認識をもっているかどうか、そのような業と真理を経験することは神への愛を呼び起こすかどうか、その人をより親密に神のもとへ近づけるかどうかということだ。このことによって、それが真の道であるかどうか見定めることができる。… もしそれが聖霊による働きであるなら、人間はずっと正常になり、その人間性はさらに正常になる。人間はサタンに堕落させられた自分の性質、人間の本質についての認識を増し、真理への渇望は更に大きくなる。これはつまり、人間のいのちがどんどん成長し、人間の堕落した性質においては、より一層の変化が可能となる。これら全てが神が人間のいのちになるということの意味である。もし、ある道が、人間の本質であるこれらのものを明らかにすることができないのなら、また人間の性質を変えることができないのなら、さらにまた、人間を神の前へ導き、神についての真の理解を与えることができないのなら、あるいは、人間性をさらに卑しめ、その理知をますます異常なものにするのなら、その道は真の道ではあり得ず、悪霊の業、あるいは、古い道なのだ。要するに、それは聖霊が現在為している働きではないということだ。」
ある姉妹が私とこのように交流してくれました、「神の御言葉から、真の道と偽の道を見分けるのに大切なのは聖霊の働きが宿っているかどうかを見分けることであると分かります。聖霊の働きが宿っているかどうかは、私たちがいのちの備えを得られるかどうか、そして神に関する新しい理解を得続けることができるかによって決まります。こういった効果が得られない場合、私たちが人生において前進できない、そして私たちの実際問題が解決に至らない場合、そこには聖霊の働きがないということになります。真の道は神が自らなされる働きから生まれるのです。それは神御自身の働きであるため、そこには真理の表れと聖霊の働きがあります。最近、全能神は人類が神を知り、救いを見つけるために必要な真理を全て表され、神の6000年の経営計画の目的、神の働きの原則、聖書の真理、そして神の御名前の重要性等、神の経営計画における全ての奥義を明らかにされました。これら全ては人間には理解できない奥義です。全能神の御言葉の中で、人類の堕落した本質とその根源が完全に明らかにされています。神の御言葉の裁きの中で、私たちは傲慢さ、うぬぼれ、身勝手さ、そして卑劣さ等、自分たちの堕落と醜さに関する真の理解を得ます。これと同時に、私たちは神の義なる性質に関する真の知識を得て、神に対する敬虔の念を感じ、私たちのいのちの性質が何らかの形で変化を遂げ、それが徐々に罪と告白を繰り返す悪循環から私たちを救い出してくれるのです。これは全能神の働きが真の道であることを完全に証明しています。全能神の御言葉は真理、道、そしていのちであり、それは権威と力で満ちています。それは人類を清め、救うことができるのです。」
この姉妹の交流を聞き、私は突然光が見えました。真の道と偽の道を見分ける原則はとても単純だったのです。本当にそうなのです!神の御言葉を読み、全能神教会の讃美歌を聞いて踊りの動画をいくつか観賞した後、私は神の働きに関する知識を得ました。しかも、私はとても解放されて、嬉しい気分にもなりました。これは聖霊の働きの表れだったのです。